Q.木の皮をむくのは可哀想ではないですか?

 

 「かわいそう。」「残酷に感じる。」という大人の方も子供さんもおられます。それは木が生きていると感じているからだと思います。その時には、「木が生きていると思うのですね。その気持ちが大事なのです。」と伝えています。自分が木や生き物の命を奪って生きているということを忘れないことは、とても大切なことだと考えるからです。

 

 このため毎回1日の作業の初めには、間伐対象の代表の木にお神酒・塩・お米を捧げ、「木の命をいただきます。大切に使わせていただきます。今日の作業が安全でありますように。」と木に礼を唱えてから皮をむきます。

 

 皮をむくことで、従来は使われずに山に切り捨てされていた間伐材を活かすことができます。人工林の手入れになるだけではなく、その分、世界の原生林を使わずに済みます。だから間伐材が使われることは大きな意味を持っているのです。せっかく植えられた木が、活かされずに山に切り捨てられていることはとてももったいないと思っています。

 

 もう一つ、きらめ樹では、木が1年をかけて葉っぱを落として枯れていくので、森への光の入り方も、徐々に多くなっていきます。このゆっくりと自然の時間に合わせて変化するということが大切で、森の中の植物たちが乾燥などの変化に対応して準備することができるのです。木一本だけを見ると残酷なように見えるかもしれませんが、周りの環境のことを考えると、とても優しい間伐手法になります。

 

 私たち人間は、家の柱や床、机やタンス、お箸、木じゃくし、燃料など生活の隅々まで木のお世話になっています。道具として使うときにも、伐採があって、板にする製材があって、加工があります。けれども、自分で木を伐って家や家具や道具を作ることがあるでしょうか? 普通は、すでに商品の形になったものを買って使っていますね。それは、豚や鶏を自分で殺さなくても、お店に行けば豚肉や鶏肉を買って手に入れられることと同じです。残酷でかわいそうだと感じることであっても、誰かがそれをやっているから、木材製品を利用することができるのです。

 

 きらめ樹は、チェーンソーを使えない女性や子どもでもできる間伐手法です。森の問題を人任せにせずに、誰もが自分で間伐できる手法であるということが大きいと考えます。

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きらめ樹フェス2015

毎日新聞様より